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静岡地方裁判所 昭和60年(ワ)4354号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年四月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告が、被告の静岡営業所に勤務する権利を有することを確認する。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  右1につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、スイス連邦に本部を置くネッスルグループに属しており、肩書地に本社を置き、全国各地に販売事務所五、営業所一六を置き、また、姫路、島田、広田、霞ケ浦及び日高の五か所に工場を有し、インスタントコーヒーを中心に家庭用調理食品、冷凍食品、業務用食品などの製造、販売を行う会社であり、従業員数約二三六〇名、資本金三五〇億円の外資系大企業である。なお、被告は、昭和五八年四月に社名をネッスル日本株式会社からネッスル株式会社に変更した。

(二) 原告は、昭和三七年一一月、被告に入社し、東京販売事務所にドライバーとして勤務していたが、昭和四三年にマーチャンダイザー(セールスマンの補佐として、商品の販売促進のため販売店の売場に宣伝物をとりつける仕事をする者)に、昭和四七年にスリーエスセールスマン(スリーエスとはセルフ・サービス・ストアーの略称)になった。また、原告は、昭和五〇年からは、神奈川・静岡営業所の勤務となり、昭和五四年九月から同営業所静岡出張所浜松駐在を命じられ、家族とともに浜松市に移り住んだが、昭和五六年六月からは、静岡出張所勤務を命じられ、浜松市から静岡市へ引っ越した。

(三) 昭和四〇年一一月、被告の広田、神戸、東京、姫路の四事業所の労働組合を統一して、ネッスル日本労働組合が組織され、原告も同組合の組合員となった。

被告は、昭和五六年ごろから、訴外三浦一昭らにインフォーマルグループを組織させ、組合乗っ取りを計画し、その結果、組合は、昭和五七年一一月の第一七回全国大会以後、二派に分裂し、双方がネッスル日本労働組合を名乗るに至った(以下、三浦一昭らの組合を「第二組合」、他方を「第一組合」という。)。しかし、原告は、第一組合にとどまり、昭和五七年一二月二六日の第一組合東京支部の支部大会で執行委員に選任され、現在に至っている。

なお、第一組合は、その後規約を改正し、名称を「ネッスル日本労働組合第一組合」とし、第二組合と区別をつけた。

2  自宅待機命令の違法性と慰謝料請求

(一) 自宅待機命令の通告

原告は、昭和五八年六月一七日、被告の静岡出張所所長小森田頼道(以下「小森田所長」という。)から口頭で、「当分の間自宅で待機していて欲しい。」と自宅待機を通告された(以下この通告を「本件自宅待機命令」という。)。しかし小森田所長は、その理由について何らの説明もせず、ただ、「これは処分ではなく業務命令である。」と伝えただけである。

(二) 本件自宅待機命令に至る経緯

(1) 原告は、昭和五四年九月に神奈川・静岡営業所静岡出張所浜松駐在となったが、昭和五五年九月から、乙川春子(以下「春子」という。)という当時被告に派遣されていたデモンストレーターの女性と交際するようになった。その後、原告は、春子と肉体関係も持ち、絵のモデルになってもらったこともあるが、すべて合意のうえで行なったことであり、プライベートな問題であるから、このこと自体被告が非難すべき筋合のことではない。

(2) 被告は、原告が、仕事にかこつけて春子に強引に交際を迫り、独身であった春子に「妻と別れて結婚するから」と申し向けて肉体関係を結んだ旨主張しているが、そのような事実はない。また、春子は、原告の部下などではなく、美鈴マネキンの社員であり、被告への派遣についても、原告には何の発言権はない。したがって、原告が、仕事上の立場を利用して半ば強制的に春子に交際を迫るということはありえない。

(3) 春子には、かねて交際中の丙山一郎(以下「丙山」という。)という男性がおり、丙山が春子と原告との関係を知ってしまったため、次のような一連の脅迫事件が発生した。

昭和五八年四月八日、丙山(当時は丁沢一郎と名乗っていた。)から、被告静岡出張所に、「甲野が、ネッスルの仕事をしていた女性を妊娠させた。俺は、この女性と一〇年前に婚約し六年間同棲していた。こんな男はぶっ殺してやる。こんな男を管理している所長にも責任がある。所長を出せ。」と電話がかかった。

原告の自宅にも、丙山から同様の内容の電話があった。

同年四月一〇日、原告と妻幸子、小森田所長は、丙山に呼び出されて袋井市〈住所省略〉に出かけたが、その際、原告は、丙山から、刃物まで示されて、「殺してやる。」「指をつめろ。」「腹を切れ。」などと脅迫された。

(4) 同年五月一六日、原告のことを誹謗中傷する葉書が静岡、清水を中心とする被告の取引先に出まわった。

(5) 同年五月一九、二〇日の両日、原告は、名古屋営業所に呼ばれ、山口営業所長より右葉書の件で顛末書の提出を求められ、これを提出した。

その際、同営業所長は、原告に会社をやめたらどうかと発言した。

(6) 同年五月二六日、静岡出張所の駐車場に停めてあった原告の自家用車が、同年六月六日、原告用のリース車が、同年六月一二日、原告の同僚セールスマンの黒田用のリース車が、何者かによって破損されるという事件が発生した。

(7) このような経過のもとで、同年六月一七日、小森田所長から、原告に対し、口頭で、本件自宅待機命令が通告されたのである。

(三) 本件自宅待機命令後の原告、被告の対応

(1) 原告は、本件自宅待機命令後も、同年八月一七日まで出勤したが、営業用の車両は支給されず、バスまたは自家用車で取引先をまわり販売促進業務に従事した。

(2) そこで、原告は、被告に対し、左記のとおり、文書を発して本件自宅待機命令に抗議し、その撤回を要求するとともに、本件自宅待機命令の根拠、理由の説明を求めた。

〈1〉 昭和五八年六月二一日付の被告第三、第四地域部長堀健一宛の「抗議並びに申し入れ書」と題する内容証明郵便

〈2〉 昭和五八年六月二八日付の被告静岡出張所所長小森田頼道宛の「申入書」と題する書面(差出人は第一組合島田支部執行委員長長谷川保夫)

〈3〉 昭和五八年七月一九日付の被告第三、第四地域部長堀健一宛の「抗議並びに確認書」と題する書面

〈4〉 昭和五八年九月二二日付の被告社長H・J・シニガー宛の「抗議並びに申し入れ書」と題する書面

〈5〉 昭和五八年一二月二一日付の被告東海営業所所長山口勝己宛の「抗議並びに申し入れ書」と題する書面

しかし、被告は、本件自宅待機命令を解除せず、本件自宅待機命令の理由や根拠についても一切説明しなかった。

(3) かえって、被告は、原告が労働委員会の審問を傍聴したり、静岡出張所に出勤したことを本件自宅待機命令違反だとして警告書を送りつけてきた。

すなわち、被告は、昭和五八年一一月一一日付で大阪販売事務所所長堀健一名義の「警告書」を発し、原告に対し、原告が同年一〇月一九日東京都地方労働委員会の審問を傍聴したことを本件自宅待機命令を無視した無断職場放棄であり、かかる行為を繰り返すことのないよう警告し、続いて、同年一二月一六日付で、東海営業所所長山口勝己名義の「警告書」を発し、原告に対し、原告が本件自宅待機命令中にもかかわらず静岡営業所に出勤したことを業務命令違反だとして直ちに中止するよう警告した。

また、被告は、昭和五九年三月一三日付で再び大阪販売事務所所長堀健一名義の「警告書並びに通告書」を発し、原告に対し、静岡県地方労働委員会の審問を傍聴したのは無断職場放棄であるから二度と繰り返さぬよう警告するとともに、処分を含めて責任を追及する権利を保留する旨通告してきた。

(4) 更に、被告は、昭和五八年七月一三日、原告に対し、創立七〇周年記念のナショナルミーティングへの参加を拒否し、同年一二月一日にはコンピューター説明会への参加を拒否した。なお、被告からこれらの参加を拒否された者は原告以外にもいたが、いずれもネッスル日本労働組合第一組合東京支部の組合員であった。

(四)本件自宅待機命令の違法性

(1) 被告は、本件自宅待機命令は、懲戒処分ではなく、業務命令であると主張しているが、それが通告されるに至った経緯からすれば、本件自宅待機命令は、原告の女性問題に端を発して被告の取引先等に原告を誹謗中傷する葉書がバラまかれ、被告もそれに巻き込まれたことに対する戒めとしてなされたと見るのが自然であり、また、被告が、原告に対する本件自宅待機命令が長期化したのは、原告が自宅待機の指示を無視して、勝手に顧客先を訪問し続けるなどし、被告が自宅待機の指示に従い反省するよう警告、注意をしたのに原告に反省の色が全く見られなかったからだと主張していることからすれば、被告自身、原告を反省させるための手段として本件自宅待機命令を通告したことを認めているということができ、したがって、本件自宅待機命令の本質は、懲戒処分であるというべきである。

ところが、被告の就業規則や被告とネッスル日本労働組合との間の労働協約には、懲戒処分としての自宅待機など規定されていないのであるから、本件自宅待機命令は、違法な懲戒処分であるといわざるを得ない。

(2) 被告は、本件自宅待機命令を通告した理由につき、前記葉書事件で顧客先などから苦情や注文が寄せられたので、そのままセールス活動を続けさせることは好ましくないと考え、人事管理上の配慮から自宅待機させることにした旨主張している。

しかし、被告のこのような理由は、本件訴訟になって初めて主張されたもので、それまでは、原告が、再三にわたって口頭及び文書で説明を求めても、被告は、その理由を一切明らかにしなかった。

被告が、実際、人事管理上の配慮を問題にするのであれば、葉書が出回った昭和五八年五月一六日直後に自宅待機にするべきであるのに、本件自宅待機命令がなされたのは六月一七日で、その間原告は、それまで通り顧客先を回っていたのであるから、原告の女性問題を理由に原告を自宅待機にしたのは、不自然であり、このような理由は、まさに後で取って付けた理由にすぎない。

また、原告は、葉書が出回った取引先に出向いて葉書を回収してまわったが、簡単な事情説明と謝罪とでほとんど全て納得してもらい、以後の営業活動にも何の支障もなかった。小森田所長は、証人尋問において、いやまストアーの店長、山本の社長、ヤマキの山内専務から苦情、叱責を受けたと証言しているが、原告は、小森田所長からそのようなことは全く聞かされていないし、原告自身が、いやまストアー、山本、ヤマキに行った際には何の苦情、叱責も受けていない。したがって、被告としては、葉書事件から一か月も経過した時点で原告を営業活動からはずして自宅待機にする理由は何もなかった。

更に、被告主張は、葉書事件を起こした原告にセールス活動を続けさせることはできないというものであるが、それならば、単に営業活動からはずすだけで十分であり、自宅待機にまでする必要はなく、出張所に出勤させて、しばらくは雑用の処理でもさせておけばよいはずである。

(3) 本件自宅待機命令は、原告が第一組合の組合員であることを理由とした差別的取扱であるから、不当労働行為として違法な処分である。

(五) 本件自宅待機命令の内容

(1) 被告の主張によれば、自宅待機中は、裁判や地労委の審問の傍聴に行ったりするなど、要するに自宅から出ることは許されず、仮に、無断で自宅から一歩でも出た場合は、無断職場放棄であり処分の対象となるというのであるから、これは、懲罰をもって外出を禁じ、自宅に軟禁することだといっても過言ではない。

人間は、働くことに生甲斐を感じるものであるから、本件自宅待機命令により仕事を奪われ、自宅に軟禁状態にされることになる原告にとっては、誠に大きな精神的苦痛である。

(2) 本件自宅待機命令は、期限がなく、いつまで続くかわからない命令であったし、また、どのようにしておれば解除されるのかについての説明も一切なかったのであるから、原告に与えた不安も一段と大きかった。

実際に、本件自宅待機命令は、原告が自宅待機命令無効確認の訴訟を提起するまで約二年間も解除されずに続いたのである。

(六) 被告は、原告に対し、違法な本件自宅待機命令によって、期限を付さずいつ終わるとも知れないという不安を与え続け、理由についての説明も拒み続け、原告が本件自宅待機命令無効確認の裁判を提起するまで二年近くも自宅待機を続けさせたのである。その間の原告の受けた精神的な苦痛を慰謝するには、金三〇〇万円が相当である。

3  転勤命令の無効性

(一) 転勤命令の発令

(1) 原告は、被告が、本件自宅待機命令を一向に解除しないので、昭和六〇年四月二二日、被告に対して自宅待機命令無効確認等を求めて、静岡地方裁判所に訴えを提起した(静岡地方裁判所昭和六〇年(ワ)第一六五号)。

すると、被告は、突然、同年五月九日、原告に対し同月三一日付で、愛知県岡崎市へ転勤するよう命じてきた。これは、被告静岡営業所所長中谷裕持より口頭で原告に伝えられた(以下この命令を「本件転勤命令」という。)。

(2) 原告は、本件転勤命令に対し、昭和六〇年五月二七日、これが無効であると主張し、静岡地方裁判所に仮処分命令の申請をしたが、同年一〇月一日これを取下げ、本訴で争うこととした。取下げに伴い、被告は、原告に対し、あらためて同年一〇月二一日までに東海営業所第一出張所(三河地区担当)に赴任するよう通知してきた。

(二) 本件転勤命令の無効事由

(1) 労働契約違反

一般に、配転命令は、労働契約によって約定された労働の種類ないし範囲内においてのみ効力を有し、労働契約の予定する範囲をこえる命令であれば、契約内容の変更の申し入れであるから、労働者の同意なしには拘束力をもちえないし、労働契約において、就労の場所は、労働者の生活の本拠と不可分の関係にあり、その変更は、労働者の生活関係に重大な影響を与えるものであるから、契約の重要な要素である。

原告が、入社した昭和三七年当時、営業関係の職場としては、原告の所属していた東京販売事務所、大阪販売事務所及び本社の三個所しかなかったし、東京販売事務所は、東京都、川崎市、横浜市を主たる販売地域としていた。そのため、原告が入社した当時は、転勤などは全く予定されておらず、被告も東京で採用した者を大阪へ転勤させたりすることはしなかった。したがって、入社時点では、原告と被告との間で、就労の場所について、東京、神奈川とするという黙示の合意が成立していた。

昭和四九年ごろから、被告の販売網が地方にも広がり転勤させられる従業員の数も増加したが、その場合でも、転勤の範囲は、同一販売事務所管内に限られており、しかも、転勤にあたっては必ず従業員の同意を得て行われていた。原告の過去の転勤も全て東京販売事務所管内(静岡県も昭和五八年一月一日までは東京販売事務所管内であった。)の移動であり、原告も同意の上での転勤であった。

以上の点からすると、原告と被告との間には、就労場所について大枠としては東京販売事務所管内(静岡県も含む。)との黙示の合意が存在し、その枠内で具体的にどこに勤務するかは、その都度被告との合意によって決められていたと考えられ、原告と被告との最終的な就労場所の合意は、静岡出張所(現在は静岡営業所)である。

しかるに、本件転勤命令は、東京販売事務所管内から管外への転勤(但し、静岡県は、被告会社の方針で昭和五八年一月一日より大阪販売事務所管内とされた。)であり、原告の同意もないから、無効なものである。

(2) 労働協約違反

被告とネッスル日本労働組合の間で締結された労働協約第二二条には、転勤に関して次のように規定されている。

「会社は、業務上の必要に応じ、組合員を他の事業所、工場、販売事務所又は各地の販売部署(営業所、出張所、エリア)へ転勤させることがある。

転勤は、従業員の希望及び個人的事情を公正に考慮して決定する。

当該組合員及び組合に対して同時に事前通告し、正当な理由で転勤に関し異議の申し立てがある場合、会社と組合で協議する。

転勤規定は別途規定する。」

したがって、原告に対する本件転勤命令は、次のとおり、右協約に違反している。

〈1〉 原告に対する本件転勤命令は、原告の意向を打診することなく全く一方的になされたものであり、原告の希望及び個人的事情を公正に考慮していない。

〈2〉 原告に対して本件転勤命令を発令するにあたって、原告と原告の所属する第一組合に同時に事前通告していない。

被告は、原告に対し、昭和六〇年五月九日、突然同月三一日付で岡崎へ転勤するよう命じてきただけであり、それ以前に転勤についての話は原告にも第一組合にも一切なかった。

この点につき、被告は、原告に対し、同年五月九日に本件転勤命令を通告したのが事前通告にあたると主張しているが、これは明らかに誤った解釈である。

〈3〉 原告は、本件転勤命令後、家庭の事情等正当な理由を挙げて転勤につき異議を唱えているにもかかわらず、被告は、第一組合と一切協議をしようとしない。

〈4〉 被告は、更に、第一組合には本労働協約は適用されないと主張する。しかし、その主張には前提がつけられている。その前提とは、ネッスル日本労働組合が、昭和五七年一一月の臨時全国大会以降、三浦一昭を代表者とする第二組合と斉藤勝一を代表者とする第一組合とに分裂し、以後二組合が併存する形になったとしたならば、というものである。

しかし、被告は、右前提を承認していない。被告は、現在においても被告の会社内においては労働組合は一つしか存在しないという立場を堅持し、第一組合なるものは存在しないという理由で第一組合からの団体交渉の申し入れも拒否しているのである。被告の第三地域営業部長であった証人二井護郎も証人尋問において、第一組合を認めずネッスル日本労働組合は一つしかないという立場から、原告にも労働協約第二二条が適用される旨断言している。第一組合の存在を認めない被告の基本的立場からすれば、この労働協約は、原告ら第一組合員にも適用されるのであり、実際の運用においても、労働条件については、この労働協約を適用しているのである。

〈5〉 労働協約の失効との関係

この労働協約は、昭和五八年九月末日をもって失効したが、労働条件に関する部分については、その後も労働契約の内容として存続している。労働協約第二二条のうち、組合員に事前通告するというのは、転勤についての手続を定めたものであり、それ自体が、転勤にあたっての手続的保障として労働条件の内容をなしている。したがって、被告は、原告に対する本件転勤命令発令にあたっても、原告に対し、事前に転勤の通告をしなければならなかったのであるから、これを無視した本件転勤命令は無効である。

(3) 権利の濫用

そもそも、従業員に対する転勤は、従業員の生活に重大な影響を与えるものであるから、業務上の理由に基づくものでも無制約には許されず、労働関係上要請される信義則に照らし、当然合理的な制約に服するものというべきところ、本件転勤命令は、次のとおり、合理的制約を逸脱するものであるから、無効なものである。

〈1〉 本件転勤命令には、なんら合理的な理由はない。

被告が原告に対し岡崎への転勤を命じたのは、原告が、昭和六〇年四月二二日、被告に対し本件自宅待機命令無効確認等請求訴訟を提起したからであり、本件自宅待機命令を解くために岡崎への転勤を命じたのである。

被告が原告を復職させるのであれば、当然静岡営業所内にすべきである。被告は、葉書事件という不祥事を起こした原告を静岡で復職させると会社の良識を疑われると主張している。しかし、葉書事件後約二年経過した時点では、原告を営業活動につけるのに何の障害もなかったはずである。

また、被告は、原告の復職を考えた時点では、静岡の営業所の人員は充足されており、空きがなかったことも、原告を静岡営業所で復職させることのできなかった理由であると主張している。しかし、二年間も原告を自宅待機にしておればその間に後任が配置されるのは当り前のことであるから、本件自宅待機命令が無効なものである以上、原告の代りに配置された後任者がいることをもって、静岡で復職できない理由とすることはできない。

〈2〉 本件転勤命令によって、原告は、次のような不利益を受けている。

イ 原告には二人の子供がいるが、子供の教育上、転校という事態はできるだけ避けるべきである。結果的に順応できたとしても、転校という事態が子供に与えた精神的な負担は、無視されるべきものではない。

ロ 原告の実家は、横浜にあるが、本件転勤命令が発令された当時父親が脳梗塞で寝たきりの状態にあり、岡崎への転勤となると、静岡よりもさらに実家から遠くなる。

ハ 岡崎への転勤は、原告の組合活動を著しく困難にする。

原告は、第一組合東京支部の執行委員であるが、岡崎へ転勤する前は、東京支部の執行委員会、東京での組合の地域活動、地労委・裁判の傍聴など組合活動のため毎月三回位静岡から上京していたが、岡崎転勤の結果、交通費の負担が増え、東京までの所要時間が増大し、年二回位しか上京できなくなった。

(4) 不当労働行為

〈1〉 本件転勤命令も、原告が第一組合員であることを理由になされたものであり、第一組合の活動阻害を目的とした不当労働行為である。理由は次のとおりである。

イ 本件転勤命令は、自宅待機命令無効確認等請求事件の裁判対策のためになされたものであり、原告を岡崎に転勤させる必要性から出たものではない。

ロ 本件自宅待機命令は、それ自体不当労働行為性の極めて強い処分であり、組合活動を理由に長期化させたとすれば、まさに不当労働行為である。その不当労働行為が裁判所に持ち出されるに及び本件自宅待機命令を解消する手段として本件転勤命令がなされたのであるから、そこに不当労働行為意思を見て取ることができる。

ハ 岡崎駐在への転勤は、原告の組合活動を著しく阻害する。原告は、転勤によって、単に、第一組合の執行委員会等のために頻繁に上京することができなくなるだけでなく、駐在という形だと他の従業員と接触する機会が少なく、他の従業員に第一組合の考えを知らせるという大事な組合活動ができなくなる。

ニ 岡崎転勤後も、原告は、社内旅行、忘年会、新年会、QC活動等への参加の点で日常的に差別されている。

〈2〉 被告は、原告が組合役職を歴任してきたような高い意識をもった活動家でないから、不当労働行為を云々される余地はないと主張する。

しかし、被告の執拗な第一組合つぶしは、裁判所や労働委員会の命令にさえ一切従おうとしない姿勢に顕著に表われており、その攻撃の矢は女性も含む第一組合員全員に向けられているといってよい。原告についていうと、組合の役職を歴任したことはないが、被告からの第一組合脱退工作に応ぜず、本件自宅待機命令にも屈せず、脱退も退職もせずに二年間頑張り、更に、本件自宅待機命令の不当性を裁判にまで訴えたという点では、被告にとっては、無視しえない筋金入りの第一組合の活動家のはずである。

(三) 以上のとおり、本件転勤命令は無効であるから、原告は、依然として被告の静岡営業所に勤務する地位にある。

しかるに、被告は、本件転勤命令が無効であることを認めず、原告が被告の静岡営業所に勤務する地位にあることを否定している。

4  よって、原告は、被告に対し、違法な本件自宅待機命令についての不法行為責任に基づく損害賠償金三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六〇年四月二七日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるとともに、原告が、被告の静岡営業所に勤務する権利を有することの確認を求める。

二  請求原因に対する答弁

1(一)  請求原因1(一)の事実のうち、被告が、日高に工場を有していること及び被告の従業員数は否認し、その余は認める。

(二)  同1(二)の事実のうち、原告がスリーエスセールスマンになった時期の点は否認し、その余は認める。

原告がスリーエスセールスマンになったのは、昭和四七年ではなく、昭和四九年である。

(三)  同1(三)の事実のうち、昭和四〇年にネッスル日本労働組合が組織され、原告が同組合の組合員になったことは認めるが、その余は争う。

2(一)  同2(一)の事実のうち、昭和五八年六月一七日、小森田所長より原告に対し、本件自宅待機命令を通告したこと及び業務命令である旨伝えたことは認めるが、その余は争う。

(二)  同2(二)の事実のうち、原告が、被告に派遣されていたデモンストレーターの春子と交際するようになり、肉体関係を持ったこと、昭和五八年四月八日、被告静岡出張所に、丁沢一郎と名乗る男から、「甲野が、ネッスル日本の仕事をしていた女性を妊娠させた。俺は、この女性と一〇年前に婚約し、六年間同棲していた。こんな男はぶっ殺してやる。こんな男を管理している所長にも責任がある。所長を出せ。」との電話がかかったこと、同月一〇日に小森田所長が同行して、原告が右丁沢(後になって、本名が、丙山一郎であることが判明した。)と会った際、丁沢が刃物を持ち出したこと、同年五月頃、原告のことを誹謗中傷する葉書が、被告の取引先に出まわったことは認め、その余は争う。

(三)  同2(三)の事実のうち、原告が(2)の〈1〉ないし〈5〉記載の文書を発して本件自宅待機命令に抗議をしてきたこと、被告が、(3)記載の警告書を発したこと、被告が、原告について、(4)記載のナショナルミーティング、コンピューター説明会への出席を拒否したことは認め、その余は争う。

(四)  同2(四)、(五)は争う。

3(一)  同3(一)(1)の事実は認める。但し、被告は、原告に対し、岡崎へ六月一日付で赴任するよう指示したものである。

同3(一)(2)の事実は認める。

(二)(1) 同3(二)(1)の事実のうち、配転命令は、労働契約によって約定された労働の種類ないし範囲内においてのみ効力を有するとの見解があることは認めるが、その余は争う。

(2) 同3(二)(2)の事実のうち、被告とネッスル日本労働組合との間で締結された労働協約には原告主張のような規定があることは認めるが、その余は争う。

(3) 同3(二)(3)は争う。

(4) 同(4)は争う。

(三)  同3の(三)の前段は争うが、後段は認める。

4  同4は争う。

三  被告の主張

1  本件自宅待機命令について

(一) 原告は、本件自宅待機命令が、労働者としての人格をふみにじる不法行為であるとして、被告に対して損害賠償を請求している。

(二) しかしながら、原告の主張からも明らかなとおり、原告は、セールスマンとして営業活動に従事中、仕事のうえでかかわりのあった春子と不倫な関係を取り結び、しかも、そのことが原因となって、被告の信用を著しく損うような事態をひきおこしたものである。

(三) 原告は、春子との関係について、プライベートな問題であるから、被告が非難すべき筋合のことではないと主張する。

しかしながら、次の各事実からして、このことは、到底プライベートな問題として、簡単に片付けられるような問題ではないのである。

(1) 原告は、被告の顧客先と直接接触する営業社員という立場にあり、被告の信用ということを最も大切にしなければならない立場にあった。

(2) 春子は、デモンストレーターとして、被告の広告、宣伝活動に従事していたものであり、原告と仕事のうえで密接なかかわりがあった。

(3) 原告は、営業活動に従事中、仕事にかこつけて春子を誘い出すなどまさに仕事上のかかわり、立場を利用して同女と不倫な関係を取り結ぶに至っている。

(4) 当時、春子のデモンストレーターとしての業務は、全て被告に依存していたわけであるが、原告は、春子が右のごとく弱い立場にあったことにつけ込み、強引に交際を迫った節がうかがえる。

(5) 原告は、当時すでに妻子を持つ身であったが、独身であった春子に対し「妻と別れて結婚するから。」などと言葉巧みに申し向けて、肉体関係を持つに至っている。

(6) 原告のおかした右不祥事が原因で、顧客先などに原告の不倫関係を非難する文書が多数配布され、顧客先から厳しい叱責が浴びせられるなど、被告の信用は、大きく損われた。

(7) 小森田所長らは、このため顧客先などへの事情説明や謝罪などに連日東奔西走しなければならず、業務上も大きな支障を被った。

(四) そのうえ、原告は、本人尋問において、「自分がやった行為については、営業マンとして何ら恥ずべき点はない。とやかく言われる点はない。」「お客さんに迷惑をかけたという感覚はない。」「今回の件で被告の信用を損ったとは思っていない。」「今回の件について、被告に迷惑をかけることになって申し訳なかったという態度を取ったことはない。」「今でも申し訳ないことをしたという気持ちは全くない。」「被告に対しても客先に対しても迷惑をかけたという感じはない。」などとくり返し供述しており、全く反省の態度を示していないのである。

(五) 被告としては、以上のような事情から、原告にそのままセールス活動を続けさせるのは不適当であると考え、人事管理上の配慮から原告を当分の間自宅待機させることとしたものである。このように、被告が原告を自宅待機させたことについては、相当な理由が認められるのであって、仮に、被告が何らの措置を取ることもなく、そのまま原告に顧客先への訪問を許したとするなら、それこそ被告の良識が問われ、顧客先の被告に対する信頼はなお一層損われたであろう。もっとも、原告に対する右自宅待機の措置は、長期に及ぶこととなったが、これは、原告がこの自宅待機の指示を無視し、被告の信用など意に介することもなく、強引に顧客先への訪問を行ったり、事務所に押しかけるなどの行為をくり返したためであって、やむを得ざる結果といわなければならない。その他、原告は、自宅待機中被告から所定の給与や賞与などが全て支給され、経済上の不利益を何ら被っていないことなど併せ考慮するならば、本件自宅待機命令が、不法行為を構成する余地は全く無い。

2  本件転勤命令について

(一) 労働契約違反の主張について

原告は、原告と被告との間には就労場所について大枠としては東京販売事務所管内(静岡県も含む)との黙示の合意が存在し、その枠内で具体的にどこに勤務するかはその都度被告との合意によって決められていたと考えられ、原告と被告との最終的な就労場所の合意は、静岡出張所(現在は静岡営業所)であると主張する。

しかしながら、原告の主張するような合意は全く存在しない。もっとも、原告は、本人尋問において、「特別の事情がなければ、転勤は東京販売事務所の中に限られていた」と供述するが、原告の供述によっても、それは二〇年ないし二五年も以前のことというのである。被告は、北海道から沖縄まで全国を網羅する形で営業所、出張所などを有しており、セールスマンについていうならば、住居の変更を伴うような転勤は、いわば日常茶飯事となっているのであって、各営業マンともそのような転勤を職務上当然のこととして認識し受けとめているのである。また、労働協約上も「会社は、業務の必要に応じ、組合員を他の事業所、工場、販売事務所又は各地の販売部署(営業所・出張所・エリア)に転勤させることがある。」と規定され(第二二条)、右のような転勤を業務上の必要から当然のこととして明定しているのである。

(二) 労働協約違反との主張について

原告は、労働協約第二二条に「(転勤については)当該組合員及び組合に対して同時に事前通告し、正当な理由で転勤に関し異議の申し立てがある場合、会社と組合とで協議する。」との定めがあるにもかかわらず、本件転勤命令については、原告及び原告の所属する組合には事前に何の連絡もなかったのであるから、右労働協約に違反しており無効であると主張する。

しかしながら、右主張もまた、次に述べるとおり、全く理由がないものといわなければならない。

(1) まず、原告本人に対しては、昭和六〇年五月九日に本件転勤命令が告げられたが、赴任日は同年六月一日とされたのであるから、原告に対して転勤を事前に通告したことは問題のないところである。

(2)〈1〉 ところで、右労働協約は、昭和五七年三月一八日付で締結されたものであるが、この当時被告に存在していた労働組合が右協約を締結したネッスル日本労働組合のみであった。

〈2〉 原告は、その後昭和五七年一一月に右労働組合が、三浦一昭を代表者とする第二組合と斉藤勝一を代表者とする第一組合に分裂し、以後二組合が併存する形になったと主張する。しかしながら、仮に、原告の右主張どおりであったとしても、従前の労働組合と同一性を保持しているのは、あくまで第二組合である。

したがって、斉藤勝一らの第一組合が存在しているとするならば、それは、第二組合から離脱して別個の労働組合を新たに結成したということになる。そうだとすると、斉藤勝一を代表者とする第一組合なるものは、右第二組合からの離脱に伴って、本件の労働協約の適用を受けるべき立場ではなくなったものといわざるを得ない。そして、原告は、右斉藤勝一を代表者とする第一組合に所属していると主張するのであるから、その前提に立つ限り、本件転勤命令に右労働協約をあてはめてその効力を云々するような余地は無いということになる。

〈3〉 なお、原告は、右労働協約が失効した後も、労働条件に関する部分については、労働契約の内容として存続していると主張をする。

西ドイツでは、一九四九年の労働協約法以来、労働協約上の法規範(規範的部分)は、協約の期間満了後も、労働協約、事業所協定、労働契約などで新たに異なる定めをなされないかぎり効力を持続する、と規定されているが、我が国においては、かかる立法は存在しないのであって、労働協約の規定がその終了後もなお効力が認められる余地はないものである。

ところで、労働協約終了後も、従前の労働協約が定める労働条件が労働契約の内容として存続するとの見解があるが、この見解に立つとしても、協約終了後もなお存続するとされているのは、あくまで従前の協約中の労働条件に関する部分であり、これが労働契約の内容として存続するというのである。

しかし、本件で問題とされているのは、転勤に際して、組合に事前通告し、一定の場合に会社と組合とで協議するという条項であり、右条項は、その内容から明らかなように、賃金・労働時間などといった労働条件そのものを定めているものではなく、労働契約の内容として存続するという性質のものではないから、右労働協約失効後なお効力を存続するような余地はないものである。

〈4〉 また、現在でも、なお被告には単一の労働組合しか存在しないとすれば、それは、従前の労働組合と同一性を保持している第二組合でしかないことになる。しかして、本件転勤命令については第二組合に事前通告されており、第二組合からは何らの協議の申し入れもないのであるから、右前提に立っても本件労働協約違反を問われる余地はないことになる。

(3) また、仮に、本件転勤命令に右協約の適用があるとしても、組合との協議については、あくまで本人が正当な理由をあげて異議を唱えたことが前提条件となるものである。本件転勤命令は、後にも述べるように業務上の理由にもとづくものであり、これに対する原告の異議は、正当な理由にもとづく異議とは認められないので、右協議の前提要件を欠くものといわなければならない。この点からも協約違反を云々される余地はないことになる。

(三) 権利の濫用の主張について

(1) 合理的な理由の存否

前述のごとく、原告は、セールスマンとして営業活動に従事中、仕事のうえでかかわりのあった春子と不倫な関係を取り結び、しかもそのことが原因となって被告の信用を甚しく損うような事態をひきおこしたものである。しかも、原告は、右不祥事について、全く反省の態度を示さなかったのであるから、被告としては、原告を自宅待機から解くにあたり、原告をそのまま静岡営業所にとどめて同じ地域において営業活動に従事させることは適当でないと判断し、他の地域に転勤させたことは当然の措置というべきである。

そして、転勤先の岡崎市と従前の勤務地であった静岡市とはさほど遠隔の地というわけではなく、いずれも同じ第三地域営業部の範囲内であるから、転勤先を岡崎市としたことにも相当の理由があるものといわなければならない。

本件転勤命令は、右のごとく合理的な理由にもとづくものであって、不合理とされるいわれはどこにもない。

(2) 原告の被る不利益の有無

〈1〉 原告は、本件転勤命令によって被る不利益として、まず子供の転校のことを挙げている。

しかしながら、原告は、すでに家族ともども岡崎市に転居し、二人の子供もそれぞれ同地の高等学校や小学校に元気に通学しているのである。しかして、原告の本人尋問における供述によっても、再び静岡に戻ることになれば、かえって子供の教育上問題があり、子供のためには岡崎勤務のままの方がよいとのことである。

〈2〉 更に、原告は、横浜に在住している父親の健康状態のことも挙げている。

しかしながら、父親の健康状態などといったことは、本訴における原告本人尋問の際に突如として持ち出されてきたのであって、転勤に応じがたい理由などになり得ないことが明らかである。また、原告自身も、本人尋問において、「なんとかなる状態だった。」「絶対にそのために困るということはなかったと思います。」「一応心配だからあまり離さないでほしいという気持ちはありました。」などと供述しており、少くとも転勤に応じがたいほどの理由でないことを自ら認めているのである。

〈3〉 原告は、組合活動上の支障も挙げている。

しかしながら、従前原告が行っていた組合活動といっても、原告本人尋問の供述によれば、執行委員会に月一回出席する程度であったとのことであって、転勤の効力を失わしめるほどの理由たり得ないことは明らかである。

以上のとおり、本件転勤命令により原告が甚大な不利益を被るとの原告の主張が、理由のないものであることは明白である。

(四) 不当労働行為の主張について

原告は、本件転勤命令は、原告が第一組合員であることを理由になされたものであり、第一組合の活動阻害を目的とした不当労働行為であると主張する。

しかしながら、本件転勤命令は、あくまで前記のような原告自らひきおこした不祥事とこれを原因とする被告の信用失墜の事態によるものである。また、そもそも、原告は、昭和五七年一二月以前には組合役職の経験など全くなく、組合役職を歴任してきたような高い意識をもった活動家でもないのである。なお、原告は、忘年会、QC活動、社内旅行などにおいて差別扱いを受けたかのごとく主張しているが、そのような事実は全くない。

以上、いずれにしても、本件転勤命令について不当労働行為を云々されるような余地は全くない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  当事者

1  被告が、スイス連邦に本部を置くネッスルグループに属しており、肩書地に本社を置き、全国各地に販売事務所五、営業所一六を置き、また、姫路、島田、広田、霞ケ浦の四か所に工場を有し、インスタントコーヒーを中心に家庭用調理食品、冷凍食品、業務用食品などの製造、販売を行う会社であること、資本金三五〇億円の外資系企業であること、昭和五八年四月に社名をネッスル日本株式会社からネッスル株式会社に変更したことは、いずれも当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すれば、北海道の日高にある工場は、日高乳業株式会社が所有する工場であって、被告との業務委託契約によって、被告の製品を製造していたこと及び被告の従業員は、約二三一〇名であることが認められる。

2  原告が、昭和三七年一一月、被告に入社し、東京販売事務所にドライバーとして勤務したこと、昭和四三年にマーチャンダイザーになったこと、昭和五〇年から神奈川・静岡営業所の勤務となり、昭和五四年九月から同営業所静岡出張所浜松駐在を命じられ、家族とともに浜松市に移り住んだこと、昭和五六年六月からは静岡出張所勤務を命じられ、浜松市から静岡市へ引っ越したことは、いずれも当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、原告は、昭和四九年に被告のスリーエスセールスマン(流通の末端であるスーパー、小売店などに対し、営業活動を行うセールスマン)となり、昭和五四年九月にエリアセールスマン(スリーエスセールスマンが担当しているスーパー、小売店などに加え、卸売店、大手チェーンスーパー本部など、流通機構を広い範囲にわたり担当するセールスマン)となったことが認められる。

3  昭和四〇年に、ネッスル日本労働組合が組織され、原告が同組合の組合員になったことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右ネッスル日本労働組合は、昭和五七年一一月の第一七回大会を境に、組織的同一性を保持しえなくなり、その後、第一組合と第二組合が事実上併存する状態にあることが認められる。

二  本件自宅待機命令について

1(一)  昭和五八年六月一七日、小森田所長から原告に対し、本件自宅待機命令が通告されたこと、その際、小森田所長が、原告に、本件自宅待機命令が業務命令である旨伝えたことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、原告が、被告に派遣されていたデモンストレーターの春子と、仕事上のかかわりから不倫な関係を結び、そのことが原因で、原告の行為を非難する葉書が被告の取引先に出まわって、顧客の被告に対する信頼・信用を甚だしく損なうような事態が生じたため、被告は、原告にそのままセールス活動を続けさせることは好ましくないと考え、人事管理上の配慮から、原告に対する右事件に関する処置を決定するまでの間、原告を自宅待機させることとしたこと、本件自宅待機命令の発令期間中、原告には、出勤時と同様に、給料及びボーナス等が支払われていたこと、被告は、本件自宅待機命令について、原告が、自宅内でテレビを見たり、本を読んだり、昼寝をするなどのことは差し支えないが、午前九時から午後五時までの勤務時間において、被告の許可なく自宅から出ることは、右命令に違反することになり、処分の対象となると理解していたことが認められる。

(二)  前項のとおり、被告は、本件自宅待機命令の発令期間中も、原告に対して給料及びボーナス等を支払っていたので、原告がこれにより、経済的に格別の不利益を受けていないこと、原告は、被告の製品を顧客にセールスをするセールスマンであるが、右セールスの技量は、その職種の性質上職場を一時的に離れることになっても著しく低下するとまではいえないこと、本件自宅待機命令は、当初、原告に対する適切な対応処置を決めるまでの暫定的なものとして発せられたものであること、本件自宅待機命令は、勤務時間内における自宅待機を命ずるだけで、それ以上に原告に対して苛酷な制約を課するものではないことなどを考慮すれば、被告が、原告に対し、業務上の必要から、自宅待機を命ずることも、雇用契約上の労務指揮権に基づく業務命令として許されるというべきである。

2  しかしながら、被告が、業務命令として自宅待機を命ずることができるとしても、労働関係上要請される信義則に照らし、合理的な制約に服すると解され、業務上の必要性が希薄であるにもかかわらず、自宅待機を命じあるいはその期間が不当に長期にわたる等の場合には、自宅待機命令は、違法性を有するものというべきであるから、この点につき、更に検討する。

(一)(1) 原告が、被告に派遣されていたデモンストレーター(スーパーマーケットなどの店頭で、新製品の試飲会を催すなど被告の商品の宣伝・広告活動に従事する)の春子と交際するようになり、肉体関係を持ったこと、昭和五八年四月八日、被告の静岡出張所に、丁沢一郎と名乗る男から、「甲野が、ネッスルの仕事をしていた女性を妊娠させた。俺は、この女性と一〇年前に婚約し、六年間同棲していた。こんな男はぶっ殺してやる。こんな男を管理している所長にも責任がある。所長を出せ。」との電話がかかったこと、同月一〇日に小森田所長が同行して、原告が右丁沢(後になって、本名が、丙山一郎であることが判明した。)と会った際、丙山が刃物を持ち出したこと、同年五月頃、原告のことを誹謗中傷する葉書が、被告の取引先に出まわったことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

〈1〉 原告が、交際していたデモンストレーターの春子は、三鈴マネキンという会社に所属しており、原告が、被告の静岡出張所浜松駐在をしていた昭和五五年当時、スーパーマーケットなどに派遣され、店頭で、新製品の試食会を催すなど被告の商品の宣伝・広告活動に従事しており、春子が派遣されていたスーパーマーケットなどが、原告の担当する顧客先であったことから、原告は、春子を知るようになり、昭和五五年九月頃、仕事の連絡をするついでに、電話で春子を、磐田グランドホテルに呼び出して一緒に昼食をとり、その後も数回仕事のお礼等を理由に昼食に誘い、同年一〇月頃に、浜松市内のモーテルで、春子と肉体関係を結ぶに至った。

〈2〉 春子は、当初、原告からの食事の誘いを断っていたが、当時の春子のデモンストレーターとしての業務は全て被告に依存していたため、派遣先のスーパーマーケットなどを直接担当している被告のセールスマンの心証を害したくないとの気持ちにかられて、原告の食事の誘いに応ずるようになったものである。

〈3〉 原告は、当時、すでに妻子を持つ身であり、一方、春子は、独身の女性であったが、その後も、原告は、春子と月三回位の割合で肉体関係を持つようになり、原告が、昭和五六年六月に、静岡市所在の静岡出張所勤務になった後も、その関係は続いた。

〈4〉 春子は、原告と交際する一方で、当時賃借していた静岡県袋井〈住所略〉の住宅の家主である丙山とも肉体関係にあったが、昭和五八年三月頃、右丙山に対して、原告と交際していること及び原告と別れたいと考えているが、原告がしつこくつきまとってくるので困っていることなどを話したことから、丙山は、原告に自分の彼女を横取りされたということで腹を立て、春子から原告の手を引かせようとして、前記のとおり、同年四月八日に被告の静岡出張所に丁沢一郎の名を使って電話をかけた外、同月一〇日に、原告及び小森田所長などと会った際に、原告の態度に激昂して、刃物(ナタ)を持ち出すなどをした。

〈5〉 同年五月頃、被告の取引先に出まわった葉書は、ネッスル日本(株)静岡出張所が、取引先に宛てて出す形式をとり、その内容は、「女性の敵!この男性にご注意下さい!」との表題の下に、原告の名前、勤務先、住所、家族関係が記載され、注意事項として、原告が、女性ならば恥を忍んで誰にでも手を出す男であること、被告は、その従業員である原告が女性関係のトラブルを起こしても、責任を取るつもりはないので、各関係会社において、女性社員に注意を告示することを望むなどのことが記載されているものであった。

〈6〉 そして、右の葉書を送られた取引先から被告に対し、「ネッスルにこんな社員がいるのか。」「このような社員は、女性社員が多い当店には来て欲しくない。」「当社の女性にこの葉書を見せたところ、自分も原告から、お茶などに誘われていたという者もいた。善処してほしい。」等の苦情や非難が寄せられ、特に、被告の取引先で組織している静岡県特約店会の会長であった山本氏からは、「ネッスルにこんな社員がいるのか。」「こういう社員は、即刻首にするべきである。」との叱責が寄せられ、大手取引先の一つであったヤマキ株式会社からは、同社の専務を通じて、原告を同社の担当から外すようにとの申入れがなされ、また、春子の雇用主であった三鈴マネキンからも、被告に対し、甚だ遺憾であるとの申入れがなされた。

〈7〉 このため、小森田所長は、こうした取引先への事情説明や謝罪などのため、奔走しなければならない状態に追い込まれた。

〈8〉 小森田所長は、原告に対し、原告自身の男女関係のトラブルが原因で、取引先に迷惑をかけ、被告の対外的信用を損なう事態になったことにつき、厳しく反省を求め、また、被告名古屋営業所の山口所長も、原告に対し、顛末書の提出を求めたが、原告は、「プライベートな問題である。」「とやかくいわれる筋合いはない。」などと述べて、反省の色を示さなかった。

(2) これに対して、原告本人尋問の供述中には、原告は、ヤマキ株式会社の社長から、「男と女のことはよくあることだし、これはかまわないよ。」といわれ、同じく取引先の静岡明治屋の社長からも、「自分自身も、そういった女性を飲みに誘うこともあるし、そのようなときに、こんな事件にならないとも限らんよな。」といわれ、また、他の取引先からも、葉書の件で非難を受けたことはないとの供述部分があるが、右供述部分は、〈証拠〉に照らして信用しがたい。

(3) 以上の認定事実に基づき判断するに、原告は、取引先と直接接触するセールスマンであるから、被告の信用を最も大切にしなければならない立場にあったところ、仕事の上で密接なかかわりあいがあったデモンストレーターの女性と、仕事上の立場を利用して不倫な関係を取り結ぶに至り、そのことが原因で、取引先に葉書が多数配布され被告に厳しい叱責が寄せられるなど、被告の対外的信用が大きく損なわれ、このため小森田所長は、取引先等への事情説明や謝罪などに奔走しなければならず、被告としては、業務上も多大な迷惑ないし損害を被ったものというべきであるから、原告にそのままセールス活動を続けさせることは業務上適当ではなく、被告が、原告に自宅待機を命じたことには、相当の理由があるというべきである。

(二)(1) 原告が、本件自宅待機命令に抗議して、(a)昭和五八年六月二一日付の被告第三、第四地域部長堀健一宛の「抗議並びに申入れ書」と題する書面、(b)昭和五八年六月二八日付の被告静岡出張所長小森田頼道宛の「申入れ書」と題する書面、(c)昭和五八年七月一九日付の被告第三、第四地域部長堀健一宛の「抗議並びに確認書」と題する書面、(d)昭和五八年九月二二日付の被告社長H・J・シニガー宛の「抗議並びに申入れ書」と題する書面、(e)昭和五八年一二月二一日付の被告東海営業所所長山口勝己宛の「抗議並びに申入れ書」と題する書面をそれぞれ送付したこと、これに対して、被告が、原告に対し、原告が同年一〇月一九日に東京都労働委員会の審問を傍聴したことを、本件自宅待機命令を無視した無断職場放棄であるとして、かかる行為を繰り返すことのないように警告する被告の大阪販売事務所所長掘健一名義の昭和五八年一一月一一日付「警告書」を発し、続いて、原告が本件自宅待機命令中にもかかわらず、静岡営業所に出勤したことを業務命令違反だとして直ちに中止するように警告する被告東海営業所所長山口勝己名義の同年一二月一六日付「警告書」を発し、更に、原告が、昭和五九年二月二七日、本件自宅待機命令を無視して静岡県地方労働委員会の審問を傍聴したのは、無断職場放棄であるから、二度と繰り返さぬよう警告するとともに、処分を含めて責任を追及する権利を留保する旨通告する被告大阪販売事務所所長堀健一名義の昭和五九年三月一三日付「警告並びに通告書」を発したことは、いずれも当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

〈1〉 原告に対する本件自宅待機命令の通告は、昭和五八年六月一七日に行われたが、原告は、この命令を無視し、以後連日のように、被告静岡出張所に来ては、仕事をさせるよう要求し、事務所内で新聞を読んだり歩き回るなどの行為を繰り返したうえ、多数の部外者とともに同出張所に押しかけるなどの行動を取り、また、本件自宅待機命令が不当である旨のビラをまくなどの行為を続けた。

〈2〉 また、原告は、本件自宅待機命令の通告後も、この命令を無視して、昭和五八年八月一七日までは、取引先を訪問し続けた。

〈3〉 被告としては、原告に自宅待機をさせることによって、本人の態度を見ながら、原告に対する今後の処置を決定しようと考えていたが、原告が右〈1〉、〈2〉の様な行動を取り、自分の行為に対する反省を示さなかったため、自宅待機の期間が長期化することとなった。

(三)  ところで、本件自宅待機命令は、昭和六〇年五月九日に本件転勤命令が通告されるまで約二年間にわたって続いたことは当事者間に争いがないが、被告静岡出張所(後記三4(二)(2)〈2〉のとおり、昭和五九年一月一日からは、静岡営業所に昇格)が担当する取引先が、原告の男女関係のトラブルが原因で葉書が配布された事件につき、原告に対して前記(一)(1)〈6〉のとおり厳しい見方をしているように、原告の行為は不倫という社会的非難を免れない行為であり、かつ、被告にとって到底看過できない行為であるのにかかわらず、原告は、本人尋問において「自分がやった行為については、営業マンとして、何ら恥ずべき点はない、とやかくいわれる点はない。」「お客さんに迷惑をかけたという感覚はない。」「今回の件で、会社の信用を損なったとは思っていない。」などと供述していることから明らかなとおり、自分のした不倫行為について、現在に至るまで何ら反省の気持ちを持ち合わせていないのみならず、これが正当である旨の主張を固執する態度をとったため、このままの状態で、原告を業務上の必要から取引先へ訪問させあるいは静岡出張所の事務所などにおいて顧客又はデモンストレーターの女性などと応対させるとすれば、被告の男女間の倫理についての見識が疑われ、被告の対外的信用を一層損なう結果にもなりかねなかったのであるから、原告に対し長期間自宅待機を命ずる業務上の必要性があったというべきである。

よって、本件自宅待機の期間が二年間の長期にわたったとしても、これをもって、本件自宅待機命令を違法とするには足りないという外ない。

(四)  原告は、本件自宅待機命令は、不当労働行為として違法な処分であるとも主張するが、前記1(一)のとおり、原告の男女関係のトラブルが原因で葉書が被告の取引先に出まわり、取引先の被告に対する信用を甚だしく損なうような事態が生じたため、被告は、原告にそのままセールス活動を続けさせることは業務上好ましくないとして、人事管理上の配慮から原告を自宅待機させることとしたものであるというべく、原告が第一組合の組合員であるという理由で、本件自宅待機命令がなされたと認めるに足りる証拠はないから、原告の右主張は、失当といわざるを得ない。

3  以上のとおり、本件自宅待機命令は、違法なものとは認められないから、その違法を前提とする原告の慰謝料請求は、理由がない。

三  本件転勤命令について

1  原告が、昭和六〇年四月二二日、被告に対して自宅待機命令無効確認等を求めて、当庁に訴えを提起したこと、被告が、原告に対し、同年五月九日に本件転勤命令を通告したこと、原告が、本件転勤命令が無効であるとして、同年五月二七日、当庁に仮処分申請をしたが、同年一〇月一日、これを取下げ、その後、被告は、あらためて同年一〇月二一日までに東海営業所第一出張所(三河地区担当)に赴任するよう通知したことは、いずれも当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、本件転勤命令は、原告に対し、昭和六〇年六月一日付で、東海営業所第一出張所に転勤するよう命ずるものであることが認められる。

2  労働契約違反の主張について

(一)  原告は、原告と被告との間には、原告の就労場所について、大枠としては、東京販売事務所管内(静岡県も含む)との黙示の合意が存在し、その枠内で、具体的にどこに勤務するかは、その都度被告との合意によって決められていた旨主張するが、その主張からも明らかなとおり、原告と被告の間に、就労場所を東京販売事務所管内に限るとの明示の合意はなく、また、原告が被告に入社した昭和三七年頃から昭和四二年頃までは、転勤は、東京販売事務所管内に限られていたとの原告本人尋問の供述はあるものの、それ以後も、被告における転勤が、各販売事務所の管内に限られる状態が続いていたことを認めるに足る証拠はない。

(二)  かえって、〈証拠〉によれば、ネッスル日本労働組合が、第一組合と第二組合に事実上分裂する状態になる以前である昭和五七年三月一八日に、ネッスル日本労働組合と被告との間で締結された労働協約の第二二条には、「会社は、業務の必要に応じ、組合員を他の事業所、工場、販売事務所又は各地の販売部署(営業所・出張所・エリア)に転勤させることがある。」との規定があり、それ以前にネッスル日本労働組合と被告との間で締結されていた労働協約にも、同様の規定があったことが認められるので、当時のネッスル日本労働組合の組合員は、業務上の必要に応じて転勤がありうることについては、当然了解していたというべきである。

また、前記一1のとおり、被告は、肩書地にある本社の外、全国各地に、販売事務所五、営業所一六を置いており、〈証拠〉によれば、昭和五八年度以降昭和六二年度の期間に限っても、被告のセールスマンについては、販売事務所の枠を超えた転勤の事例がかなり頻繁にあること、原告は、昭和三七年一一月、被告の東京販売事務所においてドライバーとして採用されており、その当時は、ドライバーは、各販売事務所ないし営業所において、その地域の人を採用していたこと、昭和三七年当時は、運転免許証の所持者が現在に較べて少なかったため、車の運転とセールスマンの補助的な仕事をするドライバーの職種があったが、その後被告のセールスのシステムが変わり、また、セールスマン自身が自動車を運転して得意先を訪問するようになったため、ドライバーの職種が廃止され、ドライバーとして被告に採用された者も、逐次マーチャンダイザーあるいはセールスマンへと職種を変更したこと、原告は、昭和四三年にマーチャンダイザーとなって東京第二出張所に転勤し、昭和四九年に同出張所において被告のスリーエスセールスマンとなり、昭和五〇年から神奈川・静岡営業所神奈川第一出張所の勤務となり、昭和五四年九月に同営業所静岡出張所・浜松駐在のエリアセールスマンとして転勤し、その後、昭和五六年六月からは、静岡出張所に転勤となったこと、以上の事実が認められ、これに反する証拠はないから、原告と被告との間には、遅くとも、原告が昭和四九年にスリーエスセールスマンとなった時点において、業務の必要に応じて住居の変更を伴う転勤があり得るし、その範囲は、東京販売事務所の管内には限らないとの包括的な合意がなされたものというべきである。

(三)  したがって、本件転勤命令が、労働契約違反であるとの原告の主張は、失当といわざるを得ない。

3  労働契約違反の主張について

(一)(1) 原告は、被告が、本件転勤命令を発するにあたって、原告と原告の属する第一組合に事前通告していないことをもって、労働協約違反であると主張する。

(2) 被告とネッスル日本労働組合との間に締結された労働協約の第二二条には、「会社は、業務の必要に応じ、組合員を他の事業所、工場、販売事務所又は各地の販売部署(営業所、出張所、エリア)へ転勤させることがある。転勤は、従業員の希望及び個人的事情を公正に考慮して決定する。当該組合員及び組合に対して同時に事前通告し、正当な理由で転勤に関し異議の申し立てがある場合、会社と組合で協議する。転勤規定は、別途規定する。」と規定されていることは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、昭和六〇年五月九日に原告に通告される以前において、原告に転勤についての打診はなく、第一組合に対する通告もなかったことが認められる。

(3) しかしながら、〈証拠〉によれば、被告においては、右労働協約締結以来現在に至るまで、同協約第二二条の「事前通告」は、実際の赴任日に先立って転勤命令を通告するという意味に解釈されており、この転勤命令に対して正当な理由での異議の申立てがなされた場合には、被告と組合の間で協議するという取扱がなされてきたことが認められるので、本件転勤命令が通告される前に、原告及び第一組合に転勤の打診ないし通告がなかったとしても、右労働協約の規定に違反することにはならないというべきである。

(4) これに対し、原告は、被告においては、第一組合と第二組合が併存する状態となる以前には、転勤命令を発する前に、必ず打診が行われており、労働協約第二二条もそのように解釈されていたと主張し、原告本人尋問中には、原告が、昭和五四年に横浜市から浜松市に転勤した時には、転勤の一か月以上前に、直属の係長から、横浜市から他の地域への転勤の是非についての打診があって、その後に浜松市への転勤が通告され、また、昭和五六年に浜松市から静岡市へ転勤した時にも、小森田所長から、転勤のかなり前に、打診があったとの供述部分があるが、仮に、右事前の打診が真実であるとしても、右の打診は、当時の原告の上司が、転勤命令を原告が抵抗なく受諾できるようにするため自発的に行ったもので、労働協約第二二条の規定に基づく「事前通告」としてなされたものではないとも考えられ、原告に対して事前の打診があったことをもって、昭和五七年以前の被告において、転勤命令前の本人への事前通告が、制度的になされていたと断定することはできないというべきであり、他に原告の右主張を認めるに足る証拠はない。

(二)  また、原告は、本件転勤命令について、被告が、第一組合と協議をしないことをもって、前記労働協約第二二条違反であると主張し、証人斉藤勝一の証言によれば、本件転勤命令について、被告と第一組合との間で、本件転勤命令についての協議はなされていないことが認められる。

しかしながら、被告とネッスル日本労働組合との間に締結された労働協約第二二条には、「正当な理由で転勤に関し異議の申し立てがある場合、会社と組合で協議する。」と規定されているので、被告は、常に組合との協議の義務を負うものではなく、本人の異議申立てが正当な理由に基づくものと認められる場合に、初めて協議の義務を負うというべきものであるから、後記4のとおり、被告において、原告を静岡営業所から転勤させる業務上の必要性があり、その必要性と比較して原告の受ける不利益が希薄な場合には、被告が、本件転勤命令を発令するについて第一組合と協議をしなかったとしても、本件転勤命令が無効となるとはいえない。

(三)  したがって、被告とネッスル日本労働組合との間に締結された労働協約が、第一組合に適用されるか否か等の諸点につき論ずるまでもなく、本件転勤命令が労働協約違反であるとの原告の主張は、理由がないというべきである。

4  権利の濫用の主張について

(一)  前記2(二)のとおり、原告と被告との間には、遅くとも、原告が昭和四九年にスリーエスセールスマンとなった時点において、業務の必要に応じて住居の変更を伴う転勤があり得るし、その範囲は、東京販売事務所の管内には限らないとの包括的な合意がなされたものと解されるので、被告は、この包括的合意に基づき、業務上の必要から、原告に転勤を命ずることは許されるというべきである。

しかしながら、被告が、業務上の必要から、原告に対し転勤を命ずることができるとしても、労働関係上要請される信義則に照らし、合理的な制約に服することは、自宅待機命令の場合と同様である。

(二)  そこで、原告に対し、転勤を命ずる業務上の必要性があったか否かについて検討する。

(1) 〈証拠〉によれば、昭和五九年度に原告に支給された給与、賞与の総額は金六四五万二七三八円で、昭和六〇年度のそれは金七二五万〇〇四一円であったこと、本件自宅待機命令を継続させ、会社業務に従事しない者に右給与等を支払い続けることは、被告にとっても損失であったことが認められるところ、前記二2(三)のとおり、原告に対する本件自宅待機命令の解除と本件転勤命令の決定がなされた昭和六〇年四月の時点でも、原告は、自己のした不倫行為について何ら反省の気持ちを持ち合わせておらず、原告を、葉書事件のことを知っている静岡営業所管内の取引先へ訪問させ、あるいは静岡営業所の事務所において顧客と応対させることが相当ではない状態が続いていたのであるから、原告を静岡営業所から他の営業所へ転勤させる業務上の必要性があったというべきである。

(2) そして、〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

〈1〉 被告は、昭和五九年一月一日以前は、全国を四つの地域に割って、関東、山梨を第一地域営業部、北海道、東北、信越を第二地域営業部、北陸、東海、京阪神を第三地域営業部、中国、四国、九州を第四地域営業部の担当としていたが、昭和五九年一月一日以降は、五地域制を取り、北海道、東北、信越を第一地域営業部、関東を第二地域営業部、北陸、東海、静岡を第三地域営業部、京阪神、四国を第四地域営業部、中国、九州を第五地域営業部の担当とした。

〈2〉 四地域制の時には、静岡は、第一地域営業部の管轄で、静岡出張所は、横浜市に営業所を持つ神奈川・静岡営業所の傘下にあったが、神奈川は、東京の経済圏に属するのに対し、静岡は、名古屋を中心とする東海地方の経済圏に属し、流通経路が神奈川と静岡とで異なるなどの事情から、昭和五八年一月一日からは、静岡出張所を第三地域営業部の東海営業所の傘下に移し、昭和五九年一月一日からは、静岡出張所を静岡営業所に昇格させた。

〈3〉 したがって、本件転勤命令が決定された昭和六〇年四月の時点では、それまで原告が所属していた静岡営業所は、第三地域営業部に属していたところ、第三地域営業部の下には、静岡営業所の外に、東海営業所(愛知、三重、岐阜の三県を担当)と北陸営業所(福井・石川、富山の三県を担当)があり、昭和六〇年当時、相互の人事交流は、相当頻繁に行われていたため、第三地域営業部の部長であった二井護郎は、静岡営業所で不祥事を起こした原告を他に転勤させるにあたっては、第三地域営業部内の他の営業所に転勤させるのが適当であると考えた。

〈4〉 そして、当時東海営業所第一出張所に所属して三河地区を担当していたエリアセールスマンの中野俊雄が、同年五月二六日付で、被告を退職することが決まっていたため、二井護郎部長は、原告を静岡営業所から東海営業所に転勤させ、右中野の後任として、三河地区のセールス活動に従事させることとし、中谷裕持静岡営業所長を通じて、原告に本件転勤命令を通告した。

(3)右〈1〉ないし〈4〉の事実によれば、原告の赴任先を東海第一出張所としたことには合理的な理由があり、結局、本件転勤命令には、業務上の必要性があったというべきである。

(二)  次に、本件転勤命令によって、原告が受ける不利益につき検討する。

(1) 原告は、子供の教育上、転校という事態はできるだけ避けるべきであると主張し、〈証拠〉によれば、原告には、二人の子供がおり、昭和六〇年五月当時、長女は中学生、長男は小学生で、静岡市内の学校に通っていたことが認められる。

確かに、右年令の子供たちにとって、転校が与える精神的負担は少なくないと思われるが、前記(一)(1)のとおり、原告を静岡営業所管内において就業させることができない業務上の強い要請があったのであるから、原告が、家族と同居しつつ被告の業務に従事するためには、子供達の転校も止むを得なかったというべきであるし、〈証拠〉によれば、原告は、既に家族とともに岡崎市に転居し、二人の子供は現在それぞれ同地の高等学校や小学校に元気に通学していることが認められるから、原告を再び静岡営業所に戻し、同営業所において原告を勤務させるとすれば、かえって子供たちに再転校という二重の負担を強いることになる。

(2) また、原告は、原告の両親の家が横浜にあり、本件転勤命令発令当時、父親が脳梗塞で寝たきりの状態にあったので、岡崎に転勤すると、静岡よりさらに両親の家から遠くなるので、不都合である旨主張し、原告本人尋問中には、これに沿う供述部分がある。

しかしながら、原告自身、本人尋問において、「父親と同居している家族が面倒を見られないわけでもなかった。」「なんとかなるといえばなんとかなる状態だった。」「一応心配だから、あまり離さないで欲しいという気持ちはありました。」とも述べているので、原告が、横浜の近くに居住し、父親の面倒を見なければならないような差し迫った状態はなかったのであるし、また、仮に、原告が、父親の病気見舞いあるいは面倒を見るため横浜へ帰るとしても、岡崎と静岡ではそれほどの違いがないから、岡崎への転勤が、原告にとって著しく不都合であるとは認められない。

(4) 原告は、岡崎への転勤は、組合活動を著しく困難にするとも主張し、原本の存在につき当事者間に争いがなく〈証拠〉には、原告は、第一組合東京支部の執行委員であり、岡崎へ転勤する前は、東京支部の執行委員会、東京での組合の地域活動、地労委・裁判の傍聴などの組合活動のため、毎月三回位静岡から上京していたが、岡崎転勤の結果、交通費の負担が増え、東京までの所要時間が増大し、年二回位しか上京できなくなったとの記載ないし供述部分がある。

しかしながら、〈証拠〉によれば、原告が、東京に組合活動のために月三回位の割合で上京するようになったのは、原告が自宅待機を命ぜられた以降のことであって、それ以前の業務に従事しながら組合活動をしていた時期には、組合の用務で上京したのは、多くとも月一回位の割合であったことが認められるので、岡崎に転勤した以降は、第一組合の執行委員会に年二回位しか出席できなくなったとしても、本件自宅待機命令発令以前との比較では、それほどの違いはないともいうことができ、また、静岡と岡崎とで、東京への組合活動のため上京するのに、それほどの差異はないというべきである。

(三)  以上のとおり、本件転勤命令には、業務上の必要性があり、原告が、転勤によって被る不利益として挙げる諸事情は、いずれも右業務の必要性と比較して、それほど強度のものではなく、通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとはいえないから、本件転勤命令が権利の濫用として無効となるとの原告の主張は、失当といわざるを得ない。

4  不当労働行為の主張について

原告は、本件転勤命令は、原告が、第一組合員であることを理由になされたものであり、第一組合の活動阻害を目的とした不当労働行為であると主張するが、前記3(一)のとおり、岡崎への転勤は、被告の業務上の必要からなされたものというべきであるし、また、〈証拠〉によれば、昭和五八年一月から昭和六二年九月までの間の被告静岡営業所から他の営業所への転勤者は、東京への転勤が二名(関連会社へ出向した者一名を含む。)、東海営業所の転勤が、原告を含めて五名、北陸営業所への転勤が二名、北海道への転勤が二名であることが認められ、原告に対する東海第一出張所(岡崎)への転勤命令が、静岡営業所の他の従業員に較べて特に不利益であるということもできないのであるから、原告が第一組合の組合員であるという理由で、本件転勤命令がなされたと断定することはできず、原告の右主張は、失当といわざるを得ない。

5  以上のとおり、本件転勤命令には、原告の主張するような無効事由はないから、その無効を前提とする原告の請求の趣旨第二項の請求は、理由がない。

四  よって、原告の請求は、いずれも理由がないことに帰するのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 塩崎勤 裁判官 小林登美子 裁判官 中山幾次郎)

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